立教大学清談会の議事録、会長の雑記など。

全てのりょうくんグルメ関係者に伝えたいりょうくんグルメ論

 (この記事は5月7日に行われた清談会での議論の内容を多分に含みます。記事を書くにあたって、特に炬燵さんに感謝をしたいと思います。)

 こんにちは。りょうくんグルメ分析者の代表格、めんどうです。あまりにりょうくんグルメに近づきすぎたため、家の近所にはタピオカが売っていますしスーパーにはチーズが売っています。そういえば中学校の時の一番の友達はりょうくんでした。これはもう自分はりょうくんそのものなのでは?とアイデンティティが崩壊しそうになることもあるくらいです。というわけで、今回はりょうくんグルメの分析をしてみようかなと思っています。

 そもそもりょうくんグルメとは、(っていうのはあんまり説明したくないんですけど、)簡潔に言うとTwitterのアカウントの一つで、様々なグルメを紹介しているものです。特徴的なのは「りょうくんグルメ構文」。

(彼のTwitterアカウント https://twitter.com/uryo1112?s=17

https://twitter.com/uryo1112/status/1126059368632315905?s=20

https://twitter.com/uryo1112/status/1125721616422322176?s=20

二つ見比べてみるとほぼ一緒ですね。てかまあ投稿はほぼ全部一緒なんですけど。見ているといろいろすごいのはフォロワー数で38万人。つまりまあかなり人気のアカウント、という事ですね。でも、他にもいろいろな紹介アカウントがある中なぜ彼がバズったのかについて考えていこうと思います。

 まず一つとして、アカウントの名前です。ランチ、と検索するといろいろ出てくるので適当なのを上げてみると

 

 

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こんなものが出てくるわけですが、これとりょうくんグルメの決定的な違いは「主体の存在」です。後者のアカウントは純粋なグルメへの追及をしており、それがアカウント名にも反映されています。つまり「誰が食べているか」という事の排除です。一方りょうくんグルメは「りょうくん」という人間が主体的な経験として何かを食べ、それを一見情緒的・感情的な表現で「伝われ」というため善意としての布教といったニュアンスを多分に含ませることができます。感情への訴えかけと主体の存在を想起させるアカウント名は実にシナジーがあるといえます。

 しかし、同時に都合よく主体性(もしくは人間性)を排除しているアカウントでもあるのです。ツイート一覧を見ればわかるのですが、彼はグルメ以外のツイートをほぼしていません。「つぶやき」として何かを(直接的に)吐露することが無いのは非常に冷静で一方便利です。「グルメのつぶやきがみたい」から結局人はフォローするのであって、そこに他の人間的な要素は要らないわけですから。

 また、りょうくんグルメ構文もバズりの一助となっているように思われます。というのもこの構文はネットにおけるコミュニケーションが最終的に行きつくものに近く思われるからです。ネットでは当然多分に文字でのコミュニケーションが行われます。その中で、言葉というのは変容していくわけですが、あまりにも大量に・多方面に使われた結果、言葉はただの定型文化し、無意味になります。所謂なんj発祥の「ンゴ」に近いものがあるでしょう。多くの人が同時に異なる解釈をしていくことを繰り返すと、言葉の意味がだんだんすり減って無意味になるのです。りょうくんグルメはその点でまさにこのコミュニケーションに合致するものがあります。新しい情報を解釈するのは面倒くさい、けれど知ることは知りたい、という点で非常に都合のいいアカウントとして、りょうくんグルメは存在する、というわけです。(めんどう)