立教大学清談会の議事録、会長の雑記など。

学びは無知の自覚から

 

こんにちはマクドナルド周真です。今回は差別について、 たいへんセンシティヴなトピックであると同時に、まだまだ至らない点が大いにあるのですが、少しばかり考察を述べたいと思います。

 

まず始めに、同情を誘うつもりは全くないのですが、自分は見た目や名前で差別といえることにあう機会が比較的多いです。それが嫌で仕方なかったときもありますが、それはいわゆる「生まれつき」のことで自分に決定権があったわけではないし、後から自分で変えられることでもありません。ですから、そこをおかしいと言われたってあなたにも僕にもその責任をとることもどうすることもできないことなのです。

 

年をとるにつれ、 そういったことは別に気にしなくなりました。というのも、いくら自分が「みんなと同じように、普通にとらえてほしい」と思っても、もしかしたら自分が思ってる「みんな」が「普通」(特におかしくない)だったり、「正しい」わけではないかもしれない。 そして、自分の力で人間の思考を自分の都合の良いように変えることは、たった一人でさえ、ほぼ不可能なことです。ですから、仕方ないとある程度割りきっています。(実際のところ自分自身、他人と違ったあり方を好む節があるので差別や蔑視などは避けて通れない道ですね(笑)。)

ですが、いったん属性を忘れてもらって、いち人間として一般的な立場をとって言っておきたいことがあります。

 

大学二年生のときに一時期やっていたカフェのバイトでの体験を例にとって話していきましょう。

それは、店長が「名札なんだけど、私は別に気にしないんだけど、あなたの苗字(「マクドナルド」)だとお客様が変に思ったり、勘違いとかされたりするだろうし、あなたもそれに対していちいち説明するのは、面倒でしょう。だから名前だけを名札にのせることにした。」と僕に言ったことです。

実際、僕の苗字は「イギリスでは有名な苗字なんですよ。」とか、「あなたが想像する、あの某有名ファストフード店とはスペルが違うんですよ。」といちいち一人一人に説明するのは死ぬほど面倒くさいです (笑)。(そもそも、そのような説明をしても納得しないと思いますし。)

僕の場合はこういったことにはもう慣れてるので、何でも良かったのですが、一般的に見ると、これは立派な差別なのではないでしょうか。そしてここにおいて重要な問題は、「それが差別か否か」ということではなく、平気で責任放棄をして、遠回しに差別を正当化するようなレトリックがみられることです。

ここにおいて店長は「私は別に気にしないんだけど」(あくまで尊重してるよという保険)という前提をおき、その後「お客様」に責任を放っています。そして、店長が真に意図することは、「あなたの苗字は経営上、邪魔になるので察してね」ということであります。

 

さて、僕のぶっちゃけどうでもいい話を聞いたところで、「結局差別されたことを嘆いてるだけじゃないか」と言いたくなると思います。 僕が差別について考える理由は、自分にとってそれなりに身近だからというわけではなく、一般の人々より一定以上身近なのにも関わらず、僕も無意識のうちに差別をしてしまうからです。よく「差別について知らないのが(世の中には知らない方が得することもある的な)、関わらないのが差別をしないための最善策だ」のようなことが指摘されますが、「知らないうちに、関わってないと思っているうちに」あなたも僕も差別をしてしまっているのです。そこにおいて、差別をしたという意図があったか無かったかは全くもって重要ではありません。そこで重要なのは、自分が無意識のうちに差別したことに気づいて反省的に学ぶこと、差別について知ることです。当たり前のことですが、日本人が黒人差別についていまいちイメージが掴めないのは、それを知らないからです。単に知らないでおけば良いといったような態度では麻生さんのような発言を招くことになるかもしれません。

 

ただし、僕がここで指摘しておきたいのは、必ずしも、頻繁に差別される立場にいるからといってその人の意見が正しいとしたり、特別視されるべきではないということです。

つまり、社会的マイノリティが社会的マイノリティを批判することは許される、またはそういった批判が容易に説得力を帯びるといったことには十分注意するべきだと思います。

例えば、「私だって、俺だって、差別されたことを並べようと思えば数えきれないほどある。同じ社会的マイノリティとして言わせてもらうけど、そんなのをいちいち訴えてたってそれが差別の撲滅に繋がる訳がないじゃないか。これからも差別はされていくんだからそんな些細なことで嘆いてるんじゃない。もっと強くならなきゃだめだ。」と。

こういった発言は一見もっともな意見に聞こえるが、その背景には、 彼/彼女がマイノリティという立場で社会のなかで成功を収めたという経験から得られるある種の自信、特権のようなものが感じられる場合が多いのです。  社会的マイノリティだからと言って、社会的マイノリティのことをよく理解していると思ったら大間違いです。マジョリティとマイノリティの格差はもちろんのこと、マイノリティそれ自体のなかにも格差は存在するということを忘れてはいけないのであります。

 

長々と書いても話がまとまらなくなってくる一方なので、今回はこのあたりで終わりにしましょう。(Mac