立教大学清談会の議事録、会長の雑記など。

「尊い」から見るオタク論

 こんにちは。客観的に見ればオタクであるんでしょうが自分は絶対にオタクだと名乗らないめんどうです。ただ、これは別にオタクの事が特別嫌いなわけではありません。なぜなら私はウェイの中に入っていきたいともウェイと自分を定義したいとも思わないからです。というのも、オタクもウェイも単純に「個人としてこうである」というものからかけ離れていると思うからです。つまり、彼らはどちらも「オタクのコミュニティ」「ウェイのコミュニティ」という物に必然的に属しています。そこで何らかの自己表現やコミュニケーションを行うという事がオタクであること、ウェイである事には多分に含まれるのです。つまり、オタクやウェイはどこまでも「社会的」なステータスなのです。さて、ここまで聞けばわかるでしょうが、そう、私はぼっちです。現在大学生ですが一人で受けない授業は有りません。所謂リア垢ではないTwitterのアカウントを作っても誰もフォローしないし当然フォローされません。私はオタクにもなれないしウェイにもなれない存在なのです。なんで導入のつもりがただの自虐をしているんだろう。というかこの「界隈も含めてオタク」論はもう少しいつか掘り下げたいですね。

 さて、そんな私が全く入ることのできないオタク界隈でよく使われるようになった「尊い」という言葉について分析していこうと思います。当然オタクの中でもトレンドという物はあるわけで、それはある時期に放映されるアニメに基づくものであったり、「バブみを感じてオギャる」のように属性に基づくものであったり、(少し古いですが)「俺の嫁」のように使われる定型文としての流行であったりすると思います。尊い、はこの中では基本的に最後の物に分類できるでしょう。当然ある程度の類型という意味は持ちますが。で、「尊い」という言葉が所謂オタク的な意味で使われるようになったのは比較的最近です。

Pixiv : 尊い (とうとい)とは【ピクシブ百科事典】

ねとらぼ: 二次元キャラやコンテンツに対して使われる「尊い」ってどういう気持ち? - ねとらぼ

2014年ごろ女オタクを中心に始まった、というのは結構多くのオタクの印象なんじゃないでしょうか。元々はBLに対して多く使われていたようなイメージもあります。まあこれは個人的な印象論なのであまり参考にはなりませんが。なんにせよ、それが広まってより一般的に尊い、という言葉が使われるようになったという事です。ではなぜ女オタクから?さらに男性オタクに広がったのか?という事を考えていこうと思います。そもそも「尊い」という言葉は明確に「俺の嫁」とは違います。なぜなら「尊い」はそれを発現する主体と対象を明確に分離させる意識が働いているからです。(これは数人に訊いてみたところ一応やはり意識としてあるらしいです。)自分より優れたものとして認識し、分離する。一方俺の嫁は自分の所有物としてのキャラクターへの意識が露骨に出たものです。ではその意識は女性オタクのどこから来たのか、というと所謂「腐女子」文化(=ボーイズラブ、BL嗜好)であるでしょう。主体としては女性が、男子同士の恋愛を想像する。そして自らを腐っていると低く定義する。実際、昔は腐女子に対する風当たりは今より強かったです。オタクの中のさらにスティグマ、といった感じでしょうか。まあなんにせよ、こうして「尊い」の基盤、構図は尊い以前にできていたのです。それが語彙として発露しバズったのが2014年というのに過ぎないでしょう。では2014年以降何があったか。…

 

そう、ラブライブです。

 

一応断りますが、本気で言ってます。まず前提として2014年はラブライブ二期が放映された時期に丁度重なります。このアニメは9人の学園アイドルが学校に人を集めるためになんか色々頑張る話です。重要なのは「アイドル」であり、「男性が排除されている」という要素です。そもそもアイドルは「嫁」ではなく「推し」です。自分と相手との情緒的関係というのはほとんど無視される(というかそもそもないのですが)表現がされるという事です。また、男性が居ない(投影されるべき男性の姿が無い)のはそれに大きく寄与したでしょう。同じくアイドルを扱ったアイドルマスターは男性であるプロデューサーが出演しているので個人的なつながりを連想させます。つまり、対象と主体を分離させるには足らなかったという事です。一方で恋愛的要素・性的要素は残ったため女性同士の恋愛である「百合」が流行したのでしょう。投影的・主体的な萌えとしての「オギャる」という言葉が遅れて登場・流行しているのはその代償であるようにも思えます。ただ、それも一般的なジャンルとなれたかというとそうでもなく、一過性の物であったように思われます。さらに、分離の作用はより広範囲にわたることになり、twitterの漫画である先輩がうざい後輩の話のリプライ(

 

)のように男女間の恋愛でも使われるようになりました。どこまで行っても主体的経験(投影)となれない文脈が誕生しつつある、という事です。

 これからのオタクは、自らとコンテンツやキャラを分離させる「尊い」意識と、主体的経験としてあるコンテンツを受容しようとする「俺の嫁」意識のジレンマの中で生きていくことになるように思われます。(めんどう)