立教大学清談会の議事録、会長の雑記など。

「名前」を覚えること

こんにちは。清談会のしきです。学部は社会学部です。この名前の由来は秘密です。暗記は得意ですが、友人の名前を覚えることは、結構、苦手です。(他人に興味がないわけでは決してないです。ないです。)

 

突然ですがみなさん、LINEの名前は本名にしていますか?僕は最近、本名にしました。何かに屈するようで嫌でしたが、色々と不便になってしまったので。「名は体を表す」と言いますが、中学生の時、オタクチックな友達をLINEに追加しようとした時に名前が(ニックネーム)@○○団になっていてギョッとし、やっぱりオタクだなあと思った。そんな思い出があります。そういう僕自身も小学生の頃はとあるDSのアプリにおいて、ギリシア神話の神をHNにして活動していました。単純にカッコいいですからね。。今となっては黒歴史です。

 

完全に余談ですね。

 

本題に入りますが歴史を勉強していて何故こんな人物の名前を覚えなければならないのだろう…と思ったことはありませんか?自分はあります。結局、歴史の事象などの関係性を繋げるのに偉人の名前を覚えることは必要不可欠な訳ですが、歴史ほど関係性が重要ではない偉人らの名前はどうでしょう。

 

自分は社会学部ということで社会学を学んでいる訳ですが、先人の学者らの考えた構想、理論には感嘆することが多々あります。おお!確かに!凄い!そう考えるわけですね。そして、大学には当然ですがテストというものがあります。凄い!と思うだけではなく、理解し、説明できる必要があるわけです。このシステム自体はinputとoutputをする事を余儀なくされ、結果的に覚えられるので自分は好きです。(テスト前は死にたくなります、が。) そんなテストに向けて勉強している中、ふと、「学者の名前、覚える必要あるか?」と思いました。名前を答えよという設問は簡単に作れるので、問題数稼ぎになります。しかし、「学者らが考えた理論は当然覚えるべき、でもそれらを考えた学者の名前は覚える必要があるか? 歴史の偉人でもあるまいし。」(社会学者に対してとても失礼ですが)その時自分はそう思ったわけです。

 

常識的に考えると、○○理論が〜という話をする時にわざわざその理論について1から話すのは面倒が臭いし、△△という学者の〜とした方が楽なので「ラベル」として学者の名前を覚えることは必要なわけです。(学者のバックボーンや学者同士の関係性などを理論と繋げる事もできますし。)歴史においては偉人らの名前は歴史という巨大なパズルを繋げ、組み合わせる「ピース」となっているわけですが、一方、社会学者の「名前」(ラベル)は彼らの構想・理論という「商品」のある種「商品名」になっている。そうとも考えられるわけです。当然といえば当然ですが、結局は「名前」を覚える必要があります。

日常生活でも「名前」がわからなければ意思疎通に苦労しますし、それだけ名前の利便性は高いわけです。また、本名ではなく、ニックネームもここでいう「商品名」として機能することもあります。いつも叫んでるからニックネームはバクオングというように。(例としては少し古いかな?)

 

ここまで「名前」について長々と話しましたが、結局何が言いたいのかというと、元々存在するもの(ここでは名前を覚える意味)をただ当たり前に受け入れるのではなく、批判的に享受する事が、学ぶ上でも、生きる上でもとても大事なのかなと思います。(たとえ、当たり前だろ!とバカにされようとも。)もっとひねくれたい!そんなひねくれ者です。今後ともよろしくお願いします。(しき)